みなも農園を立ち上げて約半年が過ぎました。独立した最初の目標としてはもちろん野菜が売れたら嬉しいんだけど、それ以上に自然を知るということ。
自分の中では「どんな場所でもなんでも育つ土ができる」という発想の元、活動を開始しました。一野菜に関しては、土地柄で選ぶのではなくナスや芋などある特定の品種を植えるため、地域性は大きく存在しない。
敢えてとりあげるが、固定種などのようなものもある特定の土地でしか育たないというものは見たことがない。まぁこの大きな要因としては日本という狭い地域で考えているからであろう。春夏秋冬があり、ある程度の植物が育つ温度帯が存在し、水が豊富にあるという地域柄、大きな差はないのであろう。
となれば、「ここで野菜が育たない」というのは品種のせいでもなければ、土地のせいでもない。そう考えたときに何が育たせないのかと。
自然栽培で野菜を育てたり、野草を観察していると必然的にわかるんだけど、どういう土の場所が育ちが悪く、根張りが良くないのか。水田だとわからなかった土の状態というのが畑にした瞬間に露呈する。
答えを先にいうと水はけが悪い場所だけが、草が黄色く、背丈も小さい(光合成ができておらず、栄養分を土中から持ってこれない)
コロイド状で団粒化している土が良いとされているが、これも結局水はけが悪いところはこうはならない。有機物をいれようもんならただ腐るだけで腐敗菌が繁殖する。
であれば、水はけが良いという状態が一番望ましいというのは明らかだ。
排水をよくしよう!というのは自然栽培でなくても農業であれば当たり前。
しかしある程度水溶性の化成肥料やその他即効性がある肥料であれば水はけの悪さはごまかされてしまう。結局それが慢性的に土中の酸素は腐敗菌に使われてグライ層となり、地中への空気を遮断することになる。
実質的に水はけが改善されている畑というのは、今まで見てきた中ではないんじゃないかな。ミクロで見ればあるんだけど。
ここがパーマカルチャーとかにつながると思うんだけど、人間と自然の持続可能性というところで折り合いをつけると土を活かそうという働きで有機物は畑に返そう、植物が土をよくするから仲良くしましょうとなる。(考え方間違えてたらごめんね)
有機的に生きるという波が少し押し寄せてきてる気がするんだけど、これもまた何かを入れて解決するということだから環境という意味では複雑さが増すんですよね。
シンプルかつ簡単に水はけを改善し、半永久的にそれを持続させようと思ったときに今やっている大地の再生が一番適しているのではないかと直感的におもったんですよね。
大地の再生というよりかは、創始者の矢野さんのやり方ですね。一番泥臭くてその時はすごい大変に見える(ここ大事)んだけど一番シンプルで半永久的で効率という意味でも最大に近い。それが皮肉なことに、環境に及ぼす人工物の比率が多ければ多いほど比例して作業が大変になるという。
環境再生士としては冥利に尽きるとおもうんだけど、やっぱり目指す先は健康な環境なんであればその仕事がなくなるというのが理想に見えてきてしまう。
命が一瞬の光だと考えるなら、その矛盾が達成されたときに死ぬなんてのも綺麗でよいかも。
ほとんど内容よりも考え方になってしまいました。次回から写真含めまとめていこう。
ps.戦後に生きていればどういう流れなのか体験できたけど、またそんな本があれば見てみたいな。
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